第15章 大連合(グランドユニオン)
この狂騒は強い連帯感を示していたため、ナチスを恐れる人々の心の中では、数えきれないほどの参加者たちの輪郭がぼやけていって、普通は昆虫のコロニーと結びつけて連想されるような、半ユートピア的な画一性を持った群れへと変化していったようだった。
表現がこの本らしい。半ユートピア的な画一性を持った群れ。。。
まさしくジョージ・オーウェルは国家主義を「人間を虫のように分類することができ、何百万人あるいは何千万人の塊全体に、自信たっぷりに『善』または『悪』とラベルを貼ることができると当然のように考える習慣である」と形容した
国じゃなくてもある集団に対してこのようなラベルを付けることもありそう。
なんだろう?炎上してたのか
この点は、自身が属する集団のメンバーとは全く正反対である。(略)彼らはみんなそっくりだ。
上巻の話と結びついて面白い。
確かに外メンバーから見るとみんな一緒に見える。
そうした装飾を施された外国人は、よりまとまりがあるようにみえるばかりか、一層有能で、威嚇的で、従って信用ならないように見える。
面白い。恐怖の対象か。
群衆に加わった者たちは、自分の個性を表現したいという心理学的なふだんの要求を脇に置き、仲間との違いを忘れ去り、結合した全体のうちの一人であるという感覚が自身の血管の中を流れていくのに任せるのだ。
こわいけどわかる。
自分と似た人々と一緒にいる心地よさは、成長するにつれて、自分の属する社会との結びつきへと変化する。
ここの勉強会に参加する心地よさも、これに関係するんだろうな。
ここの話怖いな。ん?怖くはないのか?考えることを省力化してやりたいことに集中するための工夫の一つ?
心理学者は、集団には高い実体性があると言う。実体性とは、実体としてとらえられる属性のことである(3)
これ面白いな。
一〇〇〇人の熱心な参加者たちと会議に出席しているときに感じるもっと漠然とした喜び
この会議って、カンファレンスってことかな?1000人規模のミーティングが想像できなかったので。。。
そうした思いは、人が、尊敬する人たちの話し方やしぐさだけでなく感情も鏡のようにまねするようすに認められる。…部分的には全運動皮質にあるミラーニューロンによって引き起こされる
人間に組み込まれたものなんだ
外から見るとあまり好意的に受け取れなかったけど、組み込まれたものならしょうがないな
今日の人々はたいていの場合、個人としての貢献や独自性のある考えを通じて社会との一体感を表現するが、統一された群集の一部に含まれているときには、ひとつのさやのなかの豆粒であることの喜びのほうが勝る
普段は多様性とか個別主義を言っていても、あるカテゴリーに属している安心感と高揚感が勝つって感じなのかな。1万2千年の歴史で得た群れることによるメリットに脳が騙されている感じがして面白い。
私たちは、他のメンバーたちを個体化していてもいなくても、自身と彼らとの共通点を過剰に評価するようになる。また、その感覚によって、自身の社会と、はるかに均質的に見える外部の社会との区別が明確になり、外部の者たちが私たちを脅かしたり怒らせたりすると、彼らの顔がいっそう同じものに見えてくる。
今の某記事に対する反応がまさにこれっぽい。。
チンパンジー は、 映像 で 見 た サル たち の 陽気 さや 怒り に 同調 する
人だと、犬や猫といった動物に対しても同調する人がいるが、動物で、人の感情に同調する種類はあるのか気になった
人同士だと、民族や人種が違っても、相手の感情に同調する人がほとんどだというのは本で読んだことがある
2022-05-17
集団には高い実体性があると心理学者がいうのめっちゃわかるし、このへんで紹介されているアプローチの一部ってチームビルディングと似ているなーって思ったり。どういうゴールとか価値観でやるのかっていうのが違うだけなんだろうな。まさに、集団をどうつくるのかと、どういう集団なのかっていう話というか。
ひとつになって行動する
儀式とは、実際的な価値がはっきりとは存在しない行為を何度も繰り返すものである。苦難を通じて集団の統一性を生み出す行為であり、フラタニティの徹底的なしごきもこれに含まれる。
儀式が集団の統一性を生み出すというのはわかる。儀式の大変さ?というのは統一性を強化するために必要なのかな?簡単にできる儀式っていうのは存在するんだろうか
フラタニティ:中世後期 - 近世のイングランドにおいて俗人によって自発的に形成され、宗教的機能をはじめとして様々な社会的機能を発揮した友愛の連帯組織らしい
一歩引いてみるとヒトラーの話でこういう説明をするのはわかるので、他の例も欲しいなーって思ってしまう。他にもこういう事象ってありそうなものだなって。ある種ヒトラーの話はバイアスが大きくて、受け取り側が変に解釈してしまいそうっていうのが。。。
権限をもつ者から指示されて他の人に電気ショックを与えるとき、脳の活動は鈍くなる。これは、命令を受けて行動している人は、行為のなりゆきから感情的に距離を置いているということを示す(36)。指揮者の言葉に耳を傾けるだけでなく、共同の意志に従って集団感情に酔いしれているときには、自身が責めを負うべきだという感覚が完全に消え去るのかもしれない。もしも自分ひとりでした場合なら、その道を突き進んだことへの責任を負いたくないような行為であっても、集団の熱意があれば容認される
思慮深い個人が集まった小さな集団でも、結果はたいして変わらないかもしれない。集団思考が出現し、同胞愛や私たちという感覚を求める気持ちが、正しい解決策を見いだそうという目的よりも優位に立つこともある(43)。集団が期待することに同調するために、自身が事実をどうとらえているかを誤って表現することもあるのだ
集団感情はやっぱり危うさを感じる。eSportsの大会で国対抗とかになると相手国に対する敬意を持った賞賛と罵倒が入り乱れている感じがする。自分の感情が流されてしまっているのかどうか客観視?できるようになりたいなあと思った。
あー。まさに。。。なんかSNSとか実況コメントとかでかなり加速した気がする。。。
ハチをたたいて殺すべしっていうのが端的すぎるけど、まぢでこういうことなんだろうなって思うと。。。